JPYCと資金の透明性
お金の流れが全部見える、とはどういうことか
この販売所の店先には、料金箱がひとつ置いてあります。ふつうの無人販売所なら、中身がいくら入っているかは店主にしか分かりません。ところがこの料金箱は、中身も、いつ誰が入れたかも、世界中の誰でも確かめられます。
「そんな箱、気味が悪い」と思うでしょうか。それとも「おもしろい」と思うでしょうか。この教材では、この透明な料金箱を実例に、「お金の流れが全部見える」とはどういうことか、なぜそれが可能なのかを、ゆっくり解説していきます。読み終わるころには、ニュースで見かける「ブロックチェーン」や「ステーブルコイン」という言葉が、自分の言葉で説明できるようになっているはずです。
ふだんのお金の流れは、実は見えない
まず、ふだん私たちが使っているお金の流れを思い出してみます。
友人に銀行振込でお金を送るとき、その記録はどこに残るでしょうか。あなたの通帳と、友人の通帳。そして銀行の帳簿です。帳簿というのは、お金の出入りを記録するノートのこと。銀行はこの帳簿を厳重に管理していて、あなたが見られるのは自分の口座のページだけです。友人の口座に本当に届いたかどうか、あなたは友人に聞くか、銀行を信じるしかありません。
これは悪いことではありません。銀行という信頼できる存在が帳簿を一手に引き受けてくれるからこそ、私たちは安心してお金を送れます。ただ、この仕組みには前提があります。帳簿を管理する誰かを、みんなで信じるという前提です。
全員が同じノートを持ったら
では、こういう仕組みを想像してみてください。
ある町内会で、会費のやりとりを記録するノートを作ることになりました。ただし、ノートは会計係が1冊だけ持つのではなく、町内の全員が同じノートのコピーを持ちます。誰かが会費を払うと、その記録が全員のノートに同時に書き加えられます。
この方式のおもしろいところは、ズルがほぼできないことです。会計係が自分のノートだけこっそり書き換えても、他の全員のノートと食い違うので、すぐにバレてしまいます。記録を改ざんしたければ、町内全員のノートを同時に書き換えなければなりません。現実的には不可能です。
この「全員が同じ帳簿のコピーを持ち、書き込みをみんなで確認し合う」仕組みを、コンピュータのネットワーク上で実現したものがブロックチェーンです。取引の記録を一定量ずつまとめたものをブロック(かたまり)と呼び、それを時系列に鎖(チェーン)のようにつないでいくので、この名前がつきました。2008年に発表されたビットコインの論文が、この仕組みの出発点です1。
ここで大事なのは、ブロックチェーンの本質が「怪しい投資商品」ではなく、帳簿の新しい持ち方だという点です。帳簿を1か所で管理するか、みんなで持ち合うか。その違いだけで、「特定の誰かを信じなくても、記録そのものを信じられる」という性質が生まれます。
値動きしないデジタルのお金 — ステーブルコイン
ブロックチェーンの上で動くお金と聞くと、ビットコインのような「値段が激しく上下するもの」を思い浮かべる方が多いと思います。1枚数百万円になったり、半分になったり。あれでは日々の支払いには使いにくいですよね。値札が毎日変わるお店で買い物をするようなものです。
そこで生まれたのがステーブルコインです。ステーブル(stable)は「安定した」という意味。円やドルといった通貨と価値が連動するように設計された、ブロックチェーン上のお金です。
この販売所の料金箱が受け取るJPYCは、日本円に連動するステーブルコインです。1JPYCは1円と同じ価値を持つように、発行会社(JPYC株式会社)が発行と払い戻しの仕組みを管理しています2。
ここでひとつ、よくある誤解を解いておきます。JPYCは、法律の上では暗号資産(いわゆる仮想通貨)ではありません。日本では2023年に施行された改正資金決済法により、円などの通貨に連動するステーブルコインは電子決済手段という独自の区分で扱われ、発行できるのは銀行や資金移動業者など、免許や登録を受けた事業者に限られています3。ビットコインのような値動きのあるお金とは、法律上も実務上も、別のものとして設計されているのです。
つまりJPYCは、「デジタルの日本円のようなもの」を、法律の枠組みの中で、ブロックチェーンという公開の帳簿の上で動かせるようにしたもの、と言えます。
実際に見てみましょう — この料金箱の中身
理屈はこのくらいにして、実物を見てみます。
この販売所の料金箱のページには、「公開売上台帳」という欄があります。ここに表示されている累計額や履歴は、当店が手で入力しているものではありません。ブロックチェーンに記録された実際の受け取り履歴を、そのまま読み出して表示しています。
そして、この台帳はもっと深くまで覗けます。ブロックチェーンの記録を誰でも閲覧できるようにした「エクスプローラー」というWebサイトがあり、たとえばポリゴンというネットワークならPolygonscanが有名です4。料金箱のページの「Polygonscanで検証」というリンクを開くと、次のようなものが見えます。
- アドレス — ブロックチェーン上の口座番号のようなもの。
0xから始まる文字列です - トランザクション — 1件1件の取引記録。「どのアドレスから、どのアドレスへ、いくら送られたか」が刻まれています
- 日時とブロック番号 — その記録が帳簿の何ページ目に、いつ書き込まれたか
当店の言い分を信じる必要はありません。表示されている数字が怪しいと思ったら、エクスプローラーで原本を確かめられる。これが「お金の流れが全部見える」ということの実際の姿です。
透明であることは、何の役に立つのか
「見えるのは分かった。で、何がうれしいの?」——もっともな疑問です。いくつか例を挙げます。
寄付や会費の使い道の証明。 災害義援金や NPO への寄付で、「集まったお金が本当に届いたのか」が話題になることがあります。受け取り口座がブロックチェーン上にあれば、いくら集まり、どこへ動いたかが公開記録として残ります。信頼を「言葉」ではなく「記録」で示せるわけです。
小さな商いの信用。 この販売所がまさにそうです。個人の小さな実験企画が「売上はすべて公開しています」と言えるのは、透明な帳簿が最初から用意されているからです。店の規模に関係なく、大企業の監査報告書に負けない検証可能性を持てる。これは今までになかったことです。
記帳や確定申告の下ごしらえ。 帳簿が公開されているということは、事業者自身にとっても取引履歴の原本がいつでも取り出せるということです。当店も、受け取ったJPYCは受取日と円換算額を記帳し、事業の収入として扱う方針です。なお、税や会計の細かな取り扱いは状況によって変わりますから、実際にご自身の事業へ当てはめたい場合は、税理士など専門家への確認をおすすめします。
見えることの、もう一つの顔
ここまで透明性の良い面を紹介してきましたが、公平のために、裏の顔にも触れておきます。
全部見えるということは、あなたが料金箱に応援を入れたら、その記録も世界に公開されるということです。記録に残るのはアドレスと金額と日時だけで、氏名や住所ではありません。しかし「アドレスは口座番号のようなもの」と言った通り、使い方によってはアドレスと個人が結びつくこともあります。
透明性とプライバシー。一見すると水と油のこの2つを、技術の世界はどう両立させようとしているのか——それは姉妹編の教材「プライバシーとブロックチェーン」で、じっくり扱います。
おわりに
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。この教材は、透明な料金箱という「生きた実例」があってはじめて書けるものでした。棚の教材はすべて無料です。もし「役に立った」と感じられたら、店先の料金箱から、お気持ちの額だけ応援いただけると励みになります。もちろん、読むだけでも大歓迎です。
本教材の内容は執筆時点(2026年8月)の情報です。法律・税務の取り扱いは変わることがあります。実務への適用は、必ず最新の一次情報と専門家にご確認ください。
参考文献・もっと知りたい方へ
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Satoshi Nakamoto, “Bitcoin: A Peer-to-Peer Electronic Cash System” (2008) — ブロックチェーンの出発点となった論文。9ページと短く、翻訳も多く公開されています。 ↩
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JPYC株式会社 公式サイト — JPYCの発行・払い戻しの仕組み、対応チェーンなどの一次情報。Kaiaチェーン対応のプレスリリースには、本教材で触れた発行チェーンの情報がまとまっています。 ↩
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資金決済に関する法律(e-Gov法令検索) — 電子決済手段の定義は第2条。原文は難解ですが、「ステーブルコインが法律でどう位置づけられているか」の原典です。 ↩
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Polygonscan — ポリゴンネットワークのエクスプローラー。この販売所の料金箱の記録も、ここで検証できます。イーサリアムならEtherscan、初学者向けの用語解説はethereum.org(日本語)が読みやすいです。 ↩